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ウミガメのスープ 本家『ラテシン』 
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みんなのブックマーク

おもちゃやめぐり「14ブックマーク」
「それ」は、特に男なら誰もが一度は持つものだ。
そして「それ」の多くは、こどもが持つ。

もし一度も持つことがなかったならば、それはきっと悲しいことだろう。

「それ」とは?

※初扉です。解答形式上、扉として出題しましたがウミガメのスープ感覚で結構でございます。
17年02月03日 07:39
【20の扉】 [おしゃけ]

初扉です。




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出棺
葬式の際に、死者の棺を式場から送り出すこと。
様式によるが、基本的に故人に近しい男子数名で行われる。

多くは、故人の子になろうか。

いずれにせよ、死ぬまでに一度も「それ」を持たないことは悲しいことに違いないはずだ。

まして親に先立ったとすれば、その悲しみは計り知れない。

「それ」=棺桶
写生日和「14ブックマーク」
海亀小学校2年生の児童が写生大会で描いた絵が多くの人の目に触れることとなったのは、その日の空に雲ひとつなかったからだという。いったいどういうことだろう?
16年09月13日 23:50
【ウミガメのスープ】 [az]



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写生を終えた子どもたちが提出した絵を見て、担任教師は思わず呻き声を漏らした。子どもたちの描いた絵は、どれも#b#空が灰色で塗られていた#/b#からだ。
写生大会の日、天気予報は晴れ。本来ならば雲ひとつない快晴になるはずだった。それが何故こうも皆、灰色の空を描いたのか。担任教師はわかっている。子どもたちが描いた灰色の正体は雲などではない……すべて#red#工場からの排煙やスモッグ#/red#なのだ。

海亀小学校のある街では最近、大気汚染が急激に悪化している。工場が次々吐き出す煙のせいで、晴れているのにまともに見通しのきかない日も多い。工場のお陰で街の経済が発展したのは否めないところもあり、悪化する大気汚染に気付かぬふりをする住民も少なくなかった。
しかし、だからと言って、幼い子どもにこんな絵を描かせるようなことがあっていいはずはない。教師は決意を固めると、事情を説明する手紙と共に、子どもたちの絵の写真をマスコミ各社に送った。
マスコミはこれに反応し、子どもたちの描いた灰色の空の絵は、大気汚染の深刻化を示す資料として大々的に報道された。雲がなくても青空を描けないほどの大気汚染は社会の関心を呼び、子どもたちの絵は人々の注目を集めたのだった。

#b#【要約】#/b#
雲ひとつないにも関わらず、子どもたちは絵の空を灰色で塗った。空が排煙で覆われていたからだ。その絵は大気汚染の深刻化を示す資料としてマスコミに取り上げられ、多くの人の目に触れることとなった。
小野寺さん「14ブックマーク」
俺の大好きな小野寺は、普段俺を見もしないし声もかけてこない。


ある日、その小野寺が俺に
「ずっと見てた。大好きだよ。抱きしめたいくらいに」
と声をかけてきた。


それを聞いた俺はすぐに、小野寺から逃げ出したんだ。


なぜだと思う?
16年04月01日 22:47
【ウミガメのスープ】 [低空飛行便]

この恋きっと嘘でもニセモノでもない……のかな? 83杯目。




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俺は#red#寺#/red#社仏閣マニアで、中でも小野寺が大好きだ。


けれどあんな大きな建物がなぜかしゃべりだし(口なんてないのに)、
見つめ(目なんてないのに)、さらに抱きしめてきたら、
さすがに俺の身体が持たない。
というか怖い。


そんなわけで俺はすぐに逃げ出したんだ。






けれど今思えば、あれは観音様の声だったのかもしれないな。
何かが始まるきっかけだったのかもしれない。
異能狩り「14ブックマーク」
そのテレビ番組は、ある男のおかげで大ヒットしていた。
どんな怪奇現象だろうが超常現象だろうが必ずそのトリックを暴けるのだと称されているその男は、その番組で数々の超能力者や霊能力者、魔術師と名乗る連中のインチキを白日の下に晒してきたのである。
しかし、ある日、番組のプロデューサーが、男に「この番組はもうおしまいだ」と告げた。
男は「どうしてですか」と問い返す。
「君があまりにすごすぎてね、どこに問い合せても、『わざわざトリックを暴かれるために番組出演はできない』ってさ」
それを聞いた男は「そうですか……しかたないですね、諦めます」とだけ答えた。
翌日、男の遺体が発見されることとなる。

男はどうして死んだのだろうか?
12年08月15日 00:51
【ウミガメのスープ】 [ロデリック]

初出題です。




解説を見る
奇術師を生業としているその男には、最愛の女性がいた。
彼が鳴かず飛ばずの頃から、ずっと支えてきてくれた女性である。
「僕みたいな文無しと一緒にいてもいいことなんかないよ。他に良い男性を見つけて結婚したほうが幸せになれるさ」男は口癖のように、そう言った。
その度に女性は、「いいえ、私が幸せだと感じる場所は、貴方のそばだけです」と答えた。
「ああ、勝手にするといいとも。ただし、僕は君と結婚してあげないよ。自分ひとりを養うのが精一杯だからね」
「あら、では、ふたりを養えるくらいけ稼げるようになったときには、結婚してくれるのですね」
「はあ、どうして君はいつもそう……わかったよ。そうなったときはプロポーズするよ」
そんな会話をしながらもふたりの関係は変わることなく、数年が経った。
そんなある日、彼にテレビ出演の声がかかった。
彼はそのチャンスを見事モノにし、以降、しばしばテレビや舞台に呼ばれるようになったのである。
収入が安定し、彼は彼女との約束を果たすことにした。
仕事帰りに、彼女の白く小さな手によく似合うであろう銀色の指輪と、ささやかな花束を買った。
「なんて言いながら指輪を渡そうか。いや、どんな言葉で飾らなくとも、彼女は喜んでくれるに違いないとも」
しかし、顔をほころばせながら男が家路についていた頃、彼女は交通事故で帰らぬ人となっていた。

数日後、男は風変わりな屋敷の前にいた。入口には、白い張り紙に小さな文字で<心霊術>とある。
もう一度だけでいい、彼女と話したい。あの日伝えることのできなかった言葉が胸に残っていた。
藁にもすがる思いで、男は戸を叩く。手にはあの銀色の指輪を握りしめられていた。

しかし、男はその霊能力者がインチキであるとすぐに見抜いてしまった。
長年培ってきた奇術の技術と知識が、彼の前でインチキを突き通すことを許さなかったのである。
それでも彼女と話すことをどうしても諦めきれない男は、世界中をまたにかけて、本物の霊能力者を探すことにした。
そこで彼は自分が出演している番組を利用することを思いつく。彼がプロデューサーに企画を持ちかけると、プロデューサーは面白そうだと二つ返事で了承した。
その企画とは、彼が世界各地から訪れた超能力者のトリックを見破れるかどうかの対決をするというものであった。
この世界にほんとうに超能力が存在するのであれば、必ず本物の霊能力もあるのだと信じることができる。
彼は本物の超能力者が現れることを期待しつつ、番組に出続けた。
しかし、現れる能力者は全てインチキでしかなかった。
彼はただ、死んだ彼女にたった一言を伝えたいだけであったのに、ついに世界中の自称能力者たちは彼に白旗をあげてしまったのである。
もうこの世にいても彼女に語りかける術がないのだと観念した男は、自らが彼女に会いにいく方法を選んだ。

発見された男の遺体の右手には、指輪を握りしめていたようなあとが残っていたらしい。
それぞれの場所へ旅立っても 「14ブックマーク」
故郷の村を離れて結構な時間がたち、連絡先がわからないので
昔の卒業アルバムを開いてソコに載っている住所に、連絡をとってみた亀夫。
(昔のアルバムには住所とか電話番号も載ってることがあったんですよ。いまは個人情報がうるさくて載せないのが普通?)

田舎村で、農家が多かったこともあり住所が変わっていない人も多く
何人かは後日会うことが出来た。

皆、口々に懐かしいといってくれるが、
亀夫は誰ひとり顔と名前が一致しないのだった。

なぜ?
13年07月04日 23:16
【ウミガメのスープ】 [Ratter]



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亀夫は2歳の頃までは、父の故郷の海亀村に住んでいた。
若くして結婚し子供が出来た父は、小さな農家の次男だったこともあり、
このままでは一家を食わせてやることが出来ないと、一念発起して東京へ上京した。

父は知り合いもツテもない東京でがむしゃらに働いていた。
幼かった亀夫には父が家にいた記憶は殆ど無い。おそらくは休みもろくにとっていなかったのだろう。

そんな父が55歳の若さで他界した。村を出て30年目のことであった。
ガンが見つかったのだが、手の施しようがなく、あっという間だった。

父は遺言というわけではなかったのだろうが、死ぬ間際に
「ああ、あの故郷が懐かしい・・同級生の面々に会いたい」
そう言い残して逝ってしまった。

残された亀夫は、父の同級生に連絡を取る方法を探し、
当時の情報がなにかないかと、家の中をあさってみたところ
父の小中学生時代の卒業アルバムが出てきた。
アルバムの最後のページには当時の住所録が載っていた。

30年。いや、父が子供の頃だからもっと古い。
引っ越してしまっている人も多いだろうが、父の最後の言葉もあったので
ダメ元でソコに載っている住所に父の死亡報告のはがきハガキを送ってみた。

田舎村で、農家が多かったこともあり住所が変わっていない人も多かったのだろう
ありがたいことに、連絡を返してくれた人もおり、
何人かは法要にも来てくれて、後日合うことが出来た。

来てくれた人は、父が村を出た25歳当時までの友人だった人も多く、
当時2歳だった亀夫を覚えていて皆口々に
「あ~あのちっこかった子が大きくなって~」
「ま~こんなにりっぱになって~」
と懐かしそうに声をかけてくれた。

だが、当時2歳だった亀夫に彼らの記憶があるはずはなかった。
それでも、わざわざ父に会いに来てくれた人達を見て
亀夫は嬉しく思ったのだった。