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ウミガメのスープ 本家『ラテシン』 
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最後のパントマイム(問題ページ

山エンジがパントマイミストとしての生涯最後の仕事に選んだのは、実際には存在しないボロボロの板切れを存在するかのように見せるというものだった。
彼はいったいどのような心持ちでこの仕事に臨んだのだろうか。状況を明らかにしつつ、推測せよ。
17年07月16日 05:23
【ウミガメのスープ】【批評OK】 [牛削り]



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ントマイミスト・野山エンジと、衣装担当の穂村あかりとの恋仲は、団内ではすでに公然の秘密だった。それぞれに職業意識が高く、これまで恋より仕事で生きてきた二人の不器用な恋路を、仲間内の誰もが微笑ましく見守っていた。

ある日、団員たちを乗せた船が転覆し、乗員乗客は荒ぶる海に投げ出された。激しい波にさらわれ、皆散り散りになる中、エンジとあかりは互いの姿を確認できる距離にいた。二人とも、必死に海面に顔を出して立ち泳ぎしている。
「あかり、無事か」
「うん、なんとか。でも足がつりそう。エンジ君は?」
「まだ大丈夫だけど、いつまでもつかわからない」
エンジが見回すと、小さな板切れが一枚、海面に浮いているのが見えた。エンジの方に流れてくる。
「あかり、板が流れてきた。これに掴まってれば、きっと助かる」
「本当? よかった……」
エンジは板を自分の方に引き寄せる。掴まってみて、思う。
この板では一人が限界だ……。
「あかり、とりあえず一枚、そっちに回す。しっかり捕まえて」
「一枚? もう一枚あるの? エンジ君の分もちゃんと?」
「うん、丈夫そうなのがもう一枚来るよ」
エンジが手放して、少し勢いをつけて押し出した板は、無事あかりのもとにたどり着いた。
「エンジ君、捕まえた。これでもちこたえられそう。そっちは?」
「こっちも捕まえた。だいぶ楽になったよ」
エンジはあかりが自分の方を見て安心したように笑ったのを見た。それで、彼も安心した。
板切れは一枚しかなかったのである。エンジの分など、存在しない。
ここに板切れをもう一枚存在させる。それがパントマイミストとしての自分の最後の仕事だと、彼は思った。
「きっともうすぐ救助が来る。それまでがんばろう」
幻想の板切れに身を預けながら、エンジはそう言ってあかりを励ました。

それからどれくらいの時間が経っただろうか。エンジの体力はとうに限界を超えていた。それでも、たった一人の観客のためのパントマイム・ショーは続いていた。
「エンジ君、私たち、死ぬのかな……」
あかりは弱気になっていた。
「大丈夫だよ。この板があれば、心配いらない。できるだけ体力を使わないように、板にしっかりしがみつくんだ」
言いながら、エンジはいつ死のうかと考えていた。
目の前で自分が沈めば、あかりはショックを受ける。その動揺が、彼女の生存可能性を低めてしまうかもしれない。
あかりが何かに気を取られている隙に、静かに死のう。
「あかり」
水中で激しく足をばたつかせながら、水上に出ている身体にはその素振りを伝えない。そしてそこにはない板切れを全力で表現し続ける。もうこれ以上はもたないと思った。
「あかり、愛してるよ」
「私も……」
エンジは自分が沈んでいくときのことを想像した。遠くない未来にやってくる死。身体中の力を使い果たして、何も感じなくなって、青い、青い海に落ちていく。
怖くはなかった。そのまま自分は溶けていって、海になるんだろう。そうしたら、俺たちから命を奪おうとしている大きな意思に抗って、あかりを助けてあげよう。優しい波を起こして、彼女を陸まで運んであげるんだ。
酸欠状態で、エンジの思考は論理性を欠いていた。ただひたすら、最後のパントマイムを完遂させようとするだけの機械だった。

死を察知した彼の脳裏に、あかりの顔が映し出された。彼女が時折見せていた、困ったような笑顔。「俺、お腹いっぱいだから」「俺、雨に濡れるの嫌いじゃないから」そんな言い訳をしていつも何かを譲ってきた。その度に、あかりはその表情になった。エンジはそれを、遠慮と感謝の混ざった顔なのだと解釈していた。
死にゆく彼の脳は、そこに別解釈があることを発見した。
違う。俺は思い上がっていた。あかりは俺の嘘に気づいていたんだ。気づいていながら、俺がその嘘で手に入れたかったもの──笑顔を、精一杯実現させてくれていたんだ。困ったような表情は、遠慮なんかじゃなかった。もっとずっと、シンプルな……。享受するものが半分になったとしても、本当は二人でそれを分かち合いたかった。その寂しさ。それが、困ったような笑顔。
論理性を失った彼の、直感のような推理。しかしそれは真実を捉えていた。


生きなくちゃいけない。俺の分まで生きるなんてこと、あかりは望んでいない。


そう思った時、エンジの肉体はすでに海の中だった。しかし彼の最後の生きる意志が、もうピクリとも動かないはずの右腕を動かした。
海面から出たその手を、誰かが掴んだ。

ざぱあっと、彼の身体が海上に現れる。
「大丈夫ですか?」
救助のヘリだ。気を失いかけていた彼は、ヘリが近づいてくるのに気づかなかったのだ。
「手を伸ばしてくれなかったら、助けられませんでしたよ」
救助隊員はそう言って笑った。
引き上げられた機内には、レインコートを被せられたあかりの姿があった。

目が合うと、あかりは今まで見せたことのない最高の笑顔を見せた。
何か言いたかったが、お互い声がかすれていた。
ただただ、無言で抱き合った。

あかりの体温を感じながら、エンジは仕事をやめようかと思った。
相手の一番見たいものを見せられないようでは、エンターテイナーとして失格だ。
あかりの前で演じてしまった最高に無様な演技を最後に、この仕事から足を洗おう。

そう思った。


【要約解説】
恋人と一緒に海に投げ出された野山エンジの目の前に、一人分の身体しか支えられなそうな板切れが流れてきた。
彼はそれを恋人に譲り、恋人が遠慮なく受け取れるよう、得意のパントマイムで自分にも板切れがあるように振る舞った。
この最後の仕事に臨む彼は、「自分が死んでも相手を助けたい」というような心持ちだったと推測できよう。
※解説では結果として仕事をやめる決意をすることになったが、「最後の仕事」に臨むときのエンジは死ぬ覚悟だったのだから、文字通り「生涯最後の仕事」のつもりであった。
総合点:2票  トリック:1票  伏線・洗練さ:1票  


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トリック部門SoMR
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「これぞ牛削りさん問題と言った感じのこの問題。改めて何だろうこの、古典シチュエーションパズルとも空気感の違う、作者の問題ならではの解後感…その理由を少し考えてみたが、この問題に限ったことではなく作者の問題の特徴・魅力のひとつは、“シチュエーションパズル”と“水平思考”要素なら“水平思考”をする事にベースを置いているように見えるところな気がする。問題構造が「謎状況(0,0)→解明(0,1)」、 ではなく、「謎状況(0,0)→水平思考(見方の変更等)(1,0)→解明(1,1)」みたいなイメージ。普通のシチュエーションパズルだと前者のようなスタイルも多いのだが(勿論それでも解く際に水平思考は用いられるが)、作者の問題では“露骨に”それが何か一つ噛んでいるような。水平思考がタイトルにもなっているサイトだけど、案外それをハッキリと埋め込んである問題は多くはなかったりする。具体的にどう作ればいいのかは分からないけれど、この方向性の問題が増えたらとんでもなく面白いことになると思うので見習いたい。」
2017年07月16日10時
伏線・洗練さ部門az
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「解説で語られるシチュエーション自体は、実は意外とよくありそうなものなのだが、そこにパントマイムという題材を合わせたことで、まったく切り口の異なる作品となっている。当然、そこにはありがちさなど微塵も感じさせない。凄まじいセンスと技巧の冴え。」
2017年07月19日02時

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