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ウミガメのスープ 本家『ラテシン』 
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たったひとつのマシなやり方(問題ページ

関ホールで立ち尽くす妻と息子と、見知らぬ男。
見知らぬ男は倒れていて、その背中にはナイフが突き立っている。
その様子を見たガクは、ナイフが見知らぬ男ではなく息子に刺さっていればよかったのにと思った。

何故だろう?
15年12月26日 17:00
【ウミガメのスープ】【批評OK】 [牛削り]



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が会社から帰宅した時には、すべてが終わっていた。


年末の片付け仕事を終え、久々の定時退社に心を浮かせた学は、息子の大好きなパイナップルのケーキを駅前で買い、スキップせんばかりに家路を急いだ。

高校受験を控えた息子は最近無口で、あまり顔を合わせていない。
今日はケーキをだしに、無理やりにでも話をしよう。勉強の悩み、将来のこと、恋バナだっていい。
それに国語はからっきしだが、数学や理科ならお父さんだってまだまだ教えてやれるんだぞ。

商店街を抜け、マンションの立ち並ぶ通りを行く。角を二つ曲がる。クリスマスの名残か、あちこちの家の前に安っぽい電飾が輝いている。
公園には気が早く、「新年餅つき大会のお知らせ」なんていう貼り紙がしてある。
妻が無類の餅好きだったことを思い出し、顔がほころぶ。また正月太りするんだろうな、あいつ。

我が家は公園を越えて二軒となり。
駅から少し遠くても、家族で過ごせるリビングの広い家がいい。妻の意見に共感して、必死で働いて建てた念願のマイホームは、ちょっとした自慢だ。
ありきたりだが、自分たちは今間違いなく幸せで、その幸せはまだ始まったばかり、学はそう感じていた。

家の前に立った時、学は妙な胸騒ぎがした。門が半開きで、普段は点いている玄関の灯りが点いていない。
首を傾げつつドアを開ける。鍵は掛かっていなかった。

真っ暗な室内を、向かいの家の電飾がかすかに照らす。学はそこに、三人の人間の姿を見た。
立ち尽くす妻と、息子と、見知らぬ男。
息子と男は倒れていた。
学は後ろ手にドアを閉め、電気を点けた。
「おい、どうしたんだ。何があった?」
妻は焦点の定まらない目を学に向けた。口の中で小さく「あなた」と言った。
学は落ち着けと自分に言い聞かせ、状況を確認した。

まず、息子。
仰向けに倒れていて、左脇腹から出血している。流れ出た大量の血液が、床と壁を汚している。顔は……見たくなかった。
近付いて手首を触る。身体はまだほのかに温かいが、脈は、無かった。

見知らぬ男は、玄関のドアに向かってうつ伏せに倒れている。背中にはナイフが突き立っている。ナイフは我が家には無い種類のものだ。
男の出血は、着ているセーターをジワリと染める程度であった。息があるかどうかは、学には興味のないことだった。

妻は、その場に立ち尽くし、小刻みに震えていた。怖かったのだろう。
彼女の部屋着は、利き手である右腕を中心に、血にまみれていた

学は状況を理解した。
「いきなり、その人が──」
「わかってる」
妻に理性を取り戻させたくはなかった。

状況が物語っているのは、こんな筋書きだ。
強盗か変質者かわからないが、見知らぬ男が、ナイフを持って我が家に押し入った。対応に出た息子が刺され、その場に倒れた。
それを見た妻が錯乱し、息子の脇腹に刺さったナイフを引き抜き、逃げようとする男の背中に、突き立てたのだ。
妻は大量の血に怯えて理性が働かなくなり、息子と男は倒れたまま動けなくなった。

学はこんなショッキングな光景を前に、不思議に、頭が冴えていくのを感じた。すぐに、これは夫としての本能なのだと確信した。

今、妻を守れるのは、自分しかいない。

身体に刺さった刃物を抜けば、出血多量で死に至る。冷静に考えればわかることだ。
息子の死を早めたのは、妻かもしれないのだ。彼女がその事実に気づいた時、どれほど悲しむだろう。
学の頭脳は、すぐにたったひとつのマシなやり方を弾き出した。

学は、男の背中からナイフを引き抜いた。
最後に妻を引き寄せ、片手にナイフを握ったまま、抱きしめる。

「大丈夫だよ」

自分の声はこんなに優しかっただろうか。
妻の震えが少し治まったような気がした。

幸せだった。
自分たちは間違いなく、幸せだった。



学は血に塗れたナイフの切っ先をもう一度見つめると、力一杯突き付けた。


どこへ? 喉元へ。



誰の?




【要約解説】
ガクは、見知らぬ男が息子を刺し、そのナイフを妻が引き抜いて男を刺したと推理した。
妻がナイフを引き抜いたせいで、息子の出血が早まった可能性がある。
ナイフが見知らぬ男ではなく息子に刺さったままの状態であれば、最悪の事態は避けられたのかもしれない。
総合点:8票  チャーム:1票  納得感:2票  物語:4票  その他:1票  


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チャーム部門letitia
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「語り手の想像は、緊迫した状況に陥って逆に思考が研ぎ澄まされたのであろう、非常に冴え渡る推理に基づいています。それを見抜くのは一見難易度が高いように思えますが、「ナイフが見知らぬ男ではなく息子に刺さっていればよかったのに」という締めで、可能性を限定して思考を誘導することに成功すると同時に、解き明かさずにいられない謎を生み出しています。」
2015年12月27日20時
納得感部門かもめの水平さん
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「この情景の中で行われる複雑な葛藤、倫理、論理。一見理不尽に思える思考の真相が見える時、あなたは唸らざる得ない」
2016年03月16日13時
納得感部門letitia
投票一覧
「語り手は自分の見た1シーンから全てを想像していますが、その想像には偶然や希望的観測がなく、どこまでも論理的だからこそ悲劇的でもあります。問題文に対する納得はもちろんのこと、解説を読んで語り手の選択を知れば、「たったひとつのマシなやり方」にも納得がいくでしょう。」
2015年12月27日20時
物語部門桜小春
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ネタバレコメントを見る
「解説の中で感じた落差が凄まじくて、何度読んでも心臓が止まる気がします。読む度に瞬きが怖くなるほどの緊迫感を感じるのは、男が冷静で、男の選択に納得が行くからなのでしょうか。凄まじい、素晴らしい物語です。さすが牛削りさんです。」
2016年05月30日14時
物語部門とかげ
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「見知らぬ男にナイフが突き立っているのを見て、ナイフが息子に刺さっていればよかったのにと思うだなんて! 異様な雰囲気漂う問題文に対し、期待通りの読み応えある解説。最後の2行の素晴らしさに、悔しくて悶えます。」
2016年03月15日20時
物語部門からてちょっぷ
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「解説からひしひしと伝わってくる男の緊迫感。正解要素にはない解説の物語も圧巻です。」
2015年12月27日19時
物語部門ツォン
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「良質のサスペンスドラマのようなシチュエーションを裏切らない、素晴らしい物語でした。」
2015年12月26日19時
その他部門からてちょっぷ
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「”ナイフが見知らぬ男ではなく息子に刺さっていれば良かったのにと思った”。 ~だと思った。というような語尾は、たいてい読み手に弱い、またはあやふやな印象を与える。しかし、この問題文の”思う”という単語には強い、強い男の心情が込められていたということが解説で明らかにされる。全体の物語、とはまた違うのでその他部門で投票します。」
2015年12月26日18時

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