トオルが心を込めて書いてくれたマホへの手紙。
それが、何の断りもなく勝手に捨てられているのを見て、
マホは嬉しくなった。
何故だろう?
15年03月10日 21:46
【ウミガメのスープ】【批評OK】
[牛削り]
解説を見る
君が幸せであるようにと願っています。
徹がくれた手紙には、その一文だけが記されていた。
「え、これだけ?」
肩すかしを食らった真帆は、思わず声を出してしまう。
A4サイズ、黄土色の便箋の上から二行目にそう書かれ、あとは何も書かれていなかった。丁寧な文字で書かれてはいるが、これでは伝言メモと変わらない。
しばらく便箋を睨んでいたが、やがてため息とともに鞄にしまった。
ずっと目指していた夢への第一歩となる留学が決まり、今日はその旅立ちの日だった。新幹線で東京へ行き、明日の朝、出国する。
平日の昼間にもかかわらず、徹は仕事を抜け出し見送りにきてくれた。少しだけ立ち話をし、去り際に手紙をくれた。そして改札で別れた。「元気で」と彼は言った。
ホームが少しざわついてきた。
新幹線の到着まではあと15分。前を通ろうとする老人がいたので、真帆は荷物を少し引いてやった。
向こうまで何して過ごそうか。そう考えたとき、徹にウォークマンを貸しっぱなしだったことに気付いた。迷ったが、取りに戻ることにした。思い入れのある曲がたくさん入っている。これからの外国語に囲まれた生活の中で、あの癒しがないのは痛い。
余裕を持った予定のおかげで、新幹線を一、二本見送ったところで問題はない。明朝のフライトに間に合いさえすればいいのだ。真帆はベンチから立ち上がった。
駅員に事情を話すと、改札から一旦出ることを認めてくれた。タクシーを捕まえ、彼のアパートの住所を告げる。
徹は真帆を見送ったあとすぐ会社に戻ったはずだから、今は留守だろう。彼には知らせず、勝手に上がることにした。簡素ながらもしばしのお別れをした手前、忘れ物を取りに戻ると告げるのは何だか間が抜けている。
タクシーを待たせ、アパートのボロ階段を上がる。何度ここを通っただろう。もう目をつむっても彼の部屋に行ける気がした。
──次にここに来るのは、いつになるのかな。
ひょっとしたらその日は来ないかもしれない。真帆の留学中に徹が異動になり、ここを引き払う可能性は十分にあるのだ。
ポーチから合鍵を取り出し、開ける。いつもと変わらぬ、コーヒーの匂いがする。
──次にこの匂いを嗅ぐのは……
と考えかけて、頭を振る。
弱気にならない、未練を持たない、自分の選択を疑わない。何度も自分に言い聞かせた言葉を思い起こす。
ウォークマンは寝室の小物入れに入っていた。それを掴んで、もう一度部屋を見回す。
これからこの部屋に背を向ける。そうしたら、もう二度と振り返らないことにしよう。そう決意して、踵を返した。
その時だった。
足元にあったゴミ箱を倒してしまった。慌ててしゃがみこみ、ゴミを集める。と、見覚えのあるものがいくつも混じっているのに気が付いた。
黄土色の便箋。
丸められたそれが、いくつもいくつも捨てられていた。
開いてみると、それは真帆に宛てた手紙の書き損じだった。
「出会ったのはちょうとこんな季節だったね。初めてのデートの時、僕は花粉症がひどくて、考えてきたキザなセリフの最中にくしゃみが止まらなくなった。君は大笑いして、『無理しなくていいよ。素のあなたが好きだから』って言ったよね。僕、実はちょっと泣いちゃったんだけど、花粉のせいにして誤魔化したんだ。気付いてた?
君とは本当にたくさんの思い出を作りました。これからもずっと楽しいことを一緒に体験していけるんだろうなって、思っていました。
君の夢は知っていたけど、いきなり留学が決まって、戸惑っているよ。これから君に会えなくなるのが辛いです。
手紙書くよって君は言うけど、君はそれで十分なの? 僕は足りません。君がいないこれからの日々、僕はきっと抜け殻のように」
そこで終わっていた。
別のを開いてみる。
「凛々しくて頼もしい君が、本当は弱気な部分も抱えていること、知っているよ。
大雨だった合格発表の日、君のまぶたが膨らんでいるのに気付いていました。でも君が楽しそうに、不自然に楽しそうに笑うから、僕は気付かないふりをしていました。
悲しいことがあっても、君は助けを求めない。みんなそう思っている。でもそんなとき、君はいつも僕を誘ったね。悩みや悲しみを打ち明けてくれるわけではなかったけど、泣き明かしたあとの君の横に、いつも僕を置いてくれたね。僕は君の望む通りに馬鹿なふりしかできなかったけど、自分が君にとって必要な存在だと感じて、ちょっと誇りでした。
今回の留学も、君は『決めたから』ってあっさり言ったけど、本当は一人で悩んだんだろうなって思います。辛かったろうなって。でも僕はそういうことを言い出せず、クールな君に合わせて「そう、うまくいくといいね」って素っ気なく返すだけでした。
向こうでもきっと悲しいこと、嫌なこと、いろいろあると思う。そんなとき、君は泣き腫らした目で無理に笑いながら、誰を誘うんだろう。
僕がいなくて、大丈夫かな。
何の能もない僕がこんなことを思うのは、不遜でしょうか。
本音を言えば、すぐに帰ってきてほしい。
向こうで打ちのめされて、僕に無言の助けを求めに帰ってき」
次を開く。
「自分の中にいろんな気持ちがわだかまっていて、どれが本当かわかりません。
君に夢を叶えてほしい。君とずっと一緒にいたい。
強くかっこいい君が好き。強がってばかりで本当はヤワな君が好き。
僕のことをいつでも考えていてほしい。僕のことなんか忘れて、追い続けてきた夢に打ち込んでほしい。
きっと、どれも本当なんだろうなと思います。
でも君にこんなことは言えません。この手紙もどうせ、丸めてしまうのが落ちでしょう。」
いくつも、いくつもあった。
真帆はひとつひとつ開いて、じっくり読んだ。
すべて読み終えると、元通り丸めてゴミ箱に入れ、部屋を後にした。
「お客さん、遅いよ。ちょっとって言ってたじゃない。……あれ、どこか具合悪いんですか?」
真帆は無造作に目をこすった。
「何でもないわ。駅に行く前に、寄ってほしいところがあるの」
真帆はある会社の名を告げた。
もう一本くらい見送ったって、問題ない。
【要約解説】
捨てられていたのは、トオルからマホへの手紙の書き損じ。
すでにもらっていた手紙が、こんなに試行錯誤した末のものだとわかり、嬉しくなった。
総合点:2票 納得感:1票 伏線・洗練さ:1票
納得感部門driving【
投票一覧】
「明白な矛盾を感じる問題文とほぼ確一であろう解説とがセットとなってまさに良作。「問題文だけで悩む→解説を見ておおっ!」という体験ができる貴重な問題でしょう。」
2017年10月16日19時
伏線・洗練さ部門SoMR【
投票一覧】
「「洗練」という言葉が相応しい一作.全ての要素がバランス良く,五角形がパンパンだ.(こういう場合は,本来MVSは全ての部門に入れるのがルールのようですが,そのルールは機能していないようなので…とりあえずこの部門に.)普通は「悲しむ」ところを「喜ぶ」という教科書的鋭利チャームから,「これしかない!」という解答までの流れは極上という他ない.やっぱり『「そんな状況あるの?」からの「この解説しかない!」』という流れがハッキリしている問題はただ純粋に楽しめて,面白いね.物語も切ない雰囲気が実に良い.」
2016年11月17日03時