父が喜ばない理由を説明すると、
私は悲しくなった。
なぜ父は喜ばず、なぜ私は悲しくなったのだろう?
※この問題はノックスRさんの「神様ヘルプ!」http://sui-hei.net/mondai/show/7535の外伝として作成したものです。
※※この問題のSP、とりわけ解説文の校正は、さしゃさんにしていただきました。
どうもありがとうございます。
私が『父が喜ばない理由』を自分で説明しますか?
No
非現実要素はありますか?
No
私は自分が行きたい学校に合格しましたか?
Yes
私はカンニング竹山ですか?
No
受験は教育機関の受験ですか?
Yes
金銭的問題はありますか?
No
父の職業は重要ですか?
No
4より 私は水かけられますか?
No
上京して父と離れ離れですか?
No
4より 私はもう役者ですか?
No
父は私がカンニングしたと思いましたか?
No
ものすごーく浪人してるからですか?
No
父が嫌いな学校でしたか?
No
父が喜ばないのは、父親側に原因がありますか?
Noかな? 答えにくいですね
父は母と合格できるか出来ないかで賭けをしていましたか?
No
私と父の他に重要キャラはいますか?
Yes この問題はノックスさんの問題の外伝(勝手に作った続編)です [良い質問]
父と私以外に重要人物はいますか?
Yes 16と同じです [良い質問]
私は家の神社を継ぐために神主になる学校に合格したが、父は神社ではなく好きなことをしていいと言いましたか?
Noですが 続編であることは重要です
父の職業は重要ですか?
No
父は私にその教育機関に行ってもらいたいと思っていましたか?
Yes
私は家から通える大学に合格しましたか?
No
私は合格した学校に行くつもりですか?
Yes
私が悲しくなったのは、父親の理由に納得がいかなかったからですか?
Yes [良い質問]
私の博士論文に盗用などの問題が11か所見つかり、うち6か所で不正行為があったと認定する報告書を公表されましたか?
No
幼馴染も同じ所に合格しましたか?
解説文的にはYesですが問題的には重要ではありません
私は以前テストを買ったAなので父はまたか・・・と呆れましたか?
No
私は女性ですか?
Yes 神様ヘルプの「未来」です [良い質問]
境内は族のたまり場で、ソコに単車で乗り込んでくるから、娘はA君に催眠術をかけて鳥居の間にピアノ線を張りますか?
No w 昔のネタはもっと切れ味がありましたw (お互いに?)
私は親元を離れて遠くに行きますか?
No ただし・・・ [編集済]
父親が裏で手を回していましたか?
No
犯罪は関係しますか?
No
父は私が今でも父のお嫁さんになってくれるものだと思っていましたか?
NO
娘「ヒモをつけた5円玉にガムつけて賽銭箱に入れて引っ張ったらお金がついてくるけど絶対にするなよ」って言われたので、A君の中の芸人魂に火がつきましたか?
No 何それww (ネタ良) ※A君登場しません [良い質問]
「神様ヘルプ!」のカンニング騒ぎのことを、父親は知っていますか?
No この問題はその前の話です [良い質問]
母の死因は関係しますか?
NO ただし、母が死んだことが最重要です [編集済] [良い質問]
全寮制の学校ですか?
YesNo 重要ではありません
神社が存続の危機ですか?
No
受験の合格を知らぬまま母が死んだからですか?
父親の理由は違いますが、問題的には母親が合格を知らない、と考えて解いてよいです [良い質問]
35より、父「学校に行っちゃったら、誰がわしの昼飯作ってくれるんじゃ!」という理由でしたか?
NO
父は母の死によって神経質になりましたか?
Yes? そうかもしれません
38より、妻が亡くなったばかりなのに、合格したからって喜ぶ気持ちになれない。という理由でしたか?
No 少し近いですが、それでは娘は悲しまないでしょう [良い質問]
父は私に大学に行かなくてもいいし働かないくていい。ずっと家に居なさい。と言いますか?
No
父は病んでしまいましたか?
No
父の頭の中ではあの頃の母もいる幼い娘しかいないので拒絶されましたか?
No
父は私を母だと思っていますか?
No
母が死ななければ、父は喜びましたか?
Yes! 「娘が合格したのは…」 [良い質問]
私の進学先は危険なことがありますか?
重要ではありません
この問題は未来がお金儲けを始めた理由に関係していますか?
Yes? 悲しくなった後ぐれる、という設定です
なくなった母が反対していた進路だったので、賛成していたはずの父も母の生前の意思を尊重しましたか?
No もっと非科学的な理屈です [良い質問]
私の合格表彰を天国の母に届けるために燃やしましたか?
No なぜw
義理の兄弟はいますか?
重要ではありません
合格したのは母の母校ですか?
重要ではありません
母親の遺言に「学校行くな」と書いてありましたか?
No
母の死をダシに合格した学校の校長または理事長を脅しますか?
No
母の幽霊は登場しますか?
No
父は私のせいで母が死んだと思っていますか?
YesNo? いい線です つまり「私が合格したのは」どうしてだと思っていますか? [良い質問]
居酒屋ゆうれいは登場しますか?
No
その時母は亡くなったばかりで、私は母の死を知らされて悲しみましたか?
YesNo 重要ではありません
娘が合格したのは母が死んだためだと思いましたか?
Yes!!! おお、ご本人の正解! お見事!!! [正解]
父は母の幽霊がそう仰っています。っとしきりにそう言いましたか?
No
柳ユーレイは登場しますか?
No
私は母が亡くなる前に母とケンカしましたか?
NO
56より、母さんが~夜なべをし~♪ た おかげですか?
Yesだけど良質にしておきます [良い質問]
母は気力を振り絞って願掛けをしましたか?
NO
柳美里は登場しますか?
No
そんなこと信じているわけじゃないけど
仏壇の前、手を合わると、母のことを思い出す。
私の母は私が中学に入ってすぐに他界した。
死因は癌だった。
私は、幼稚園の年長の頃に数か月の間、
祖父母の元で暮らした記憶がある。
おそらくその時、母は最初の入院をしたのだと思う。
私の小学校入学前には退院し
それまでと同じように、私は母、父とともに一緒に過ごした。
そして、小学五年生の時に、母は再び入院した。
その頃私は中学受験をするため
毎日勉強をして過ごしていた。
週三回程度のペースで塾に通い
塾のない日は家で勉強していた。
勉強は嫌いだった。
勉強はさせられているものであり
させているのは親だと考えていたから
その点に関して親を恨んでいた。
それでもなにがなんだか分からないまま勉強していた。
母の入院。
その頃の記憶はあまり定かでない。
もしかしたらショックを受けたかもしれないが
中学受験に受かるために毎日は過ぎた。
母が家にいないのが普通になった。
小学六年の時、夏を越えたあたりに
母は退院し家に帰ってきた。
ずっと寝室にいたと思う。
私の受験の前、十二月に私は寝室に呼ばれた。
遺言だった。
こうありなさいよ、こう生きなさいよ
そんなことを言ったんだと思う。
内容はもう憶えていない。
母は死ぬんだという現実にさらされて
私はただただ泣き叫んでいた。
自分が死んだ後の話をする母。
私は涙が溢れて止まらなかった。
そうして母はまた入院した。
数ヶ月後、私は中学受験に合格した。
そのあとすぐ
四月に母はこの世を去った。
その日
家に帰ると母の危篤を聞いた。
病院に行くか?と父に尋ねられて
私は首を横に振った。
理由は運動をしてくたくただったからとかそんな理由で。
その日に母は死んだ。
母が死んでも涙は出てこなかった。
数日後の葬式で
木製の棺の中に母がいた。
葬式が終わると棺に釘を石で打ち込んだ。
私にも石が手渡された。
何回か打ち込んだ。
もし母が生きていても
釘を打ち込んだら出られなくなるなと思った。
関係者がひととおり打ち込んだ後
葬儀屋が手慣れた手つきで機械的に釘を打ち込んだ。
母がいない生活が再び始まった。
時々母がいないという事実を思い出すだけだった。
私に母がいないということを知った人が時々見せる態度も
かわいそうだねというような言葉も
どうとも思わなかった。
母の死後、数か月してから
父が私に言った言葉がある。
父は、私の中学受験合格を聞いた時、あまり喜んでくれていない気がした。
だから、なぜ喜んでくれないのかと尋ねた。
その時は、お茶を濁したような答えしかくれなかったのだが、
母の死後、数か月した最初のお盆を迎えたとき、父は私の問いに答えてくれた。
「母さんが命と引き換えに、お前を合格させてくれたと思ったからだよ」
ショックだった。
この言葉を聞いて、私は父が嫌いになった。
合格できたのは、私が嫌いな勉強を必死にやってきたからだ。
父がそういう風に思うのは勝手だけれど、そんな言い方をするなんて。
私が合格したせいで、母が死んだのだと、
父に突き付けられたような気がした。
私の努力など、微塵も認めてくれず、母の祈りだけが結果を導いたのだと。
親のくせに、私の気持ちを考えてもくれないなんて、と思った。
今思えば、私は、自分を認めてもらいたい気持ちでいっぱいなだけの
満ち足りない子供だったのだろう。
父の母への愛を理解するよりも、
ただ父の自分への愛を確かめたい子供だったのかもしれない。
思春期を迎える多くの子供がそうであるように
私も理由なく親を疎む人間だった。
そしてこの時の哀しみは立派な理由となり、疎む気持ちは更に強固になった。
私は、月並みな表現ではあるが、グレる、という行動に出た。
あまり品行方正でもなかったし、近所で悪い噂も立てられていたようだ。
特に何が楽しいわけでもなかったが、
何もしないよりも、少しは気分がましになった。
たぶん、あのままだったら、私はろくな人間にならなかっただろう。
救ってもらえたのは、私には私を心配してくれる友達がいたからだ。
今ではもうめったに会うこともないけど。
あの日、痛いくらいの強い力で私の腕を掴み
「もう止めよう?」と諭してくれた、悲しく苦しく優しい響きの声。
誰かの腕の中で、気が済むまで泣いた事なんて
母が私に何かを伝えてくれた日以来、初めての事だった。
小さな子供のようにしゃくりあげる私と手を繋いで
黙って歩いてくれた神社の境内の景色を、私は今も覚えている。
彼は、間違いなく、私の人生を救ってくれた。
それからだと思う。
私がいつも自分の身のまわりで支えてくれる友人、
そして、とりわけ、父を見るようになったのは。
時折、母の写真を手に、ぼんやりと庭を見つめる父の姿に、
歳を取ったな、と思う。
そうやって父は今も母に語りかけているのだろうか。
世間と比べ、決して長いとはいえなかった夫婦であっても、
いや、だからこそその絆には、子供ですら踏み込めはしないのかもしれない。
そう思った時、これまでの父へのわだかまりが、潮が引くように引いて行った。
たぶん、父にも、理由が必要だったのだ。
自分を保つために。
同時に
記憶の中にいるあの母が
あの手のひらが
あの声が
とっくに消えてしまっていて、この世の中にはもうないのだという事実が
今更のように私の心に染み込んでいった。
ふと思った。
父が愛した母はどんな人だったんだろう、と。
母が死んでから父に母のことを聞いて、初めて私は母のことを少しずつ知るようになった。
ビートルズが好きで初来日の時にコンサートを見に行ったとか。
服の趣味がいまひとつ良くなかったとか。
癌で死にゆく時に子供の未来を見つめたような人だったとか。
母が死んでから9年と少しが経った。
お盆になると、死んだ人の魂が舞いおりるらしい。
母が生きていた頃、中学受験をしていたあの頃よりもずっと、
母がそばにいるように思う。
もし母が生きていたら私は何を考えていただろう。
もし母が生きていて私の悩みを聞いてくれたならなんて言ってくれたのだろう。
母が死ぬ前に私に言った言葉は思い出せない。
思い出したいけど思い出せない。
でもこれだけは分かる。
母は40過ぎの若さで死にゆく時に子供を見つめた。
自分がこの世から消えてなくなる時に子供を見つめた。
そんな母のことを思うと
人は本当になにか素晴らしいことがらを
人に伝えるために産まれてきた気がしてくる。
母は死にゆく前に私になにかを伝えていった。
私はなにかを伝えながら生きようと思う。
死にゆく時には愛する人達を見つめて
なにか素晴らしいことを伝えていたいと思う。
母のように。
「Goodスープ認定」はスープ全体の質の評価として良いものだった場合に押してください。(進行は評価に含まれません)
ブックマークシステムと基本構造は同じですが、ブックマークは「基準が自由」なのに対しGoodは「基準が決められている」と認識してください。